上野俊哉編『響像都市の地政学』(青弓社、1990年)を読む。少し考えて今ここから積極的に得てみたい知見・肯定できそうな記述はほぼないと思うに至ったが、「ニューミュージックという現象」(高橋義人)と「ニューミュージックの〈幻象学〉批判」(上野俊哉)はそれぞれ『陽水の快楽』における竹田青嗣批判になっている。90年当時には竹田青嗣が攻撃対象になりえたということに驚く(ほかに対決すべき者はいなかったのか・・という意味で)。音楽と哲学、聴取と美学といった問題立てで竹田青嗣などの名が挙がることはもはやないと思うしそれで誰も困らないとも思うが、大文字の隔世の感ではある。
ヘーゲルを原語で読んで「格闘」するということでハクをつけてみせるとか(いやそれはすごいとは思うけどさ)、ヴィリリオの引用ひとつで「牽制」できると思ってそうなフシが、否応なしに90年のアカデミズムにおける「若手」の体臭を強烈に感じさせる。それらは必ずしも書き手のせいではないにせよ。
ただのあの"やりたい気分"をどこまでも「文学化」してしまう竹田青嗣に、桑田佳祐の端的なスケベのかっこよさが通じているとは、とうていわたしには思えない(関係ないが、彼が遊人の『エンジェル』などを読んだら、どんなことを言うのだろう?)。
(上野俊哉「ニューミュージックの〈幻象学〉批判」)
遊人かよ。
しかしこの論集のなかで初期インダストリアルやノイズミュージックをいささか手当たり次第に紹介している江森一夫が、今や『オペラの楽しみ方完全ガイド』といったおそらく一般向けの毒気ゼロのタイトルを著しているのであり、それはよくある人間の生のひと流れであり馬鹿にすることはないが。