RTA動画の愉しみ

Twitchで配信されていたRiJの動画がつべに来たのでここ数日食いついて観ている。

驚異的に軽妙なロマンシア(なんとロマンシアの歌つき)、隙あらば差しこむダジャレやホラ話が相方にスルーされ続けることでかえって雪の日の車内ラジオのように心地よく配信をあたためる魔界村、「スーパープレイの意味」と「ミスの意味」が拮抗することの貴重さを教えるスーパーマリオ64、いい意味で胡散臭い語りの力に呑みこまれるTreasure Master、よき理解者たる解説と走者の関係がトレーナーとウマ娘をどこか連想させるティアキン、実直なバグ技解説が堪能できる時のオカリナ3D、素晴らしい記録がいくつもある。

 

なかでやはりゼルダRTAなどに顕著だが、バグ技を利用したクレイジーなプレイの「解説」は記述的なものと実技の勘が緊密に結びついた出来事であることがたしかめられる。イェスパー・ユールは任意のゲームのジャンルを判断するやり方について、そのゲームの攻略記事を読んでみることを提案している。「最初の選択肢で2番目の答えを選ぶ」「薬草を所有したまま村長に話しかける」など明晰に記述可能でどんなプレイヤーでも同じように解法を得られるものがADV的な攻略記事、ゲーム中のタイミングやプレイスタイルや運動図式によって解法への展開がプレイヤーごとに大きく変わってしまうのがACT的な攻略記事というようなことだったと思う。攻略記事のスタイルを参照することで、逆にそのゲームの帰属するジャンルを照射するという見方が新鮮だった訳だ。

RTA動画ではたとえば「特定の場所で三段斬りを利用して壁抜けし本来ありえないルートを通る(プットアウェイブースト)」などの個々のバグ技が披露され、解説される。それらは段取りや正しい行為選択に属する記述可能な知=ADV的な解法の構成の連鎖からなるものでもありつつ、同時にそれが成功するか否かは「1F単位で入力ミスに繋がる」「カメラ角度や立ち位置の精密な設定を必要とする」というような意味で誰でもできる訳ではない実技的なスキルに強く負ってもいる。しかも乱暴に記述や実技と呼んでいるものも、そもそも特定の場所で壁抜けできることの発見に至るプレイングの蓄積や、そこで壁抜けできることがRTAに利用できるという着想、その場所での壁抜けを組みこんだルートとべつのルートの吟味などの果てしないプレイからでてきたものだろう。記述と実技の濃く複雑な関係をRTAはこうして教えてくれる。

 

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