天沢・入沢・宮沢

入沢康夫天沢退二郎『討議「銀河鉄道の夜」とは何か』(青土社、1990年)

 

私も宮澤賢治全集を借りてきて手元におさえながら、かつて取り交わされた異稿論にこうしてまた入る努力をしている。

筑摩書房から1967年発行の『宮澤賢治全集10』バージョンの「銀河鉄道の夜」五章に打たれた「(この間原稿五枚分なし)」という問題の個所があるが、1970年の第一回討議における天沢と入沢の対話をテープ録音して書物のかたちにとらえたこの本において、まさに「この間テープ約15分分なし(※テープ操作のミスによる)」として欠落している箇所がある。少しうす寒いようでもあり、もやっとしたものを今も残す。

 

「『電気会社の前の六本のプラタナス』のあたりなんか実にすばらしいと思う」(入沢)。電気会社の・・・は私も印象に残って、電気会社という言葉はこう使われるといいもんだなという気になったのだが、それより入沢の鉤括弧というやり口がやはり(こう言ってよければ)まがまがしい。入沢が鉤括弧で任意の文をとりおさえるやいなや、もう入沢の詩=念が発動するようですらあるし、

入沢 ウル『銀河鉄道の夜』だと、ここの削除部分が入っているわけだから、病気のお母さんの記述のすぐあとに、牛乳屋のどこか工合の悪そうな女の人がでてくることになる。

(p.24、強調は原文では傍点)

のような傍点の打ち方と並べ方が、そのまま強烈に入沢の詩行為のやり口のひとつの断面になっているように受けとめている。