賢治本二冊

文藝別冊の『宮沢賢治 修羅と救済』(2013年)。その後詩集『紫雲天気、嗅ぎ回る』をだしていくまだ昔の暁方ミセイが賢治作品との小さな自伝を寄稿している。うれしい。それから中沢新一吉本隆明のインタビューはともにオウム真理教が「話題」に挙げられている。インタビュアーの意向もあるが、賢治を話すことで当時なにの態度が期待されていたかが透けてみえるところではある──90年代の収録で。また、賢治は「遠出」や「歩き回り」はすきでも「旅好き」ではなかったのではないか?という澤村修治「旅する賢治」はおもしろい。昭和15年宮沢賢治読者たちの座談会もある。そして岡井隆、そして谷川雁・・・童話研究者になってからの谷川雁の文章がこうして視野にふいに入ってくるようになった。どう向き合えばいいのかまだ手をこまねいているような感じだ。賢治作品を読む文体も発想も冴えている、そしてその冴えぶりにまさに戸惑うという感じだ・・。星座の話も天空の話もでてきやしない「ポラーノの広場」は、しかしながら「空からの告知」の物語でしかありえない、と断じるために谷川は次のような視角を用意してくる。奇妙な数字が記されたしろつめくさの場面だ。

 レオーノキュースト少年は少年ファゼーロ、羊飼のミーロといっしょに「さう思へばさうといふやうな小さな茶いろの算用数字」を読む。そこにあげられた一二五六とか三八六六とかの数字は、従来意味のないあそびとされてきたが、私見によれば、これらはドライヤーの〈NGO星表(New General Catalogue of Nebulae and Clusters.AD 1888)にもとづく星雲・星団の番号であると看破しなければならない。

谷川雁「原基としての空」、初出は『国文学 解釈と鑑賞』2月号、至文堂、1988年)

 

 

宮沢賢治「『旅人のはなし』から」にぴんときた顛末を以前手早くしたためておいた。

できた話でできる話──宮澤賢治「『旅人のはなし』から」 - かるどろだいあろ

その際はどこかに発表された作品とは考えなかった。手帳にかきとめてあったストーリーのひとつなのだと思っていた。ところが吉田文憲の「郵便脚夫の身の上について」(『宮沢賢治 妖しい文字の物語』所収)に知らされた。この作品は、盛岡高等農林学校で保阪嘉内と始めた文芸同人誌「アザリア」1号に発表されたものだと。そのうち新校本全集で再読できたら、そういうことのなにか注釈がないか当たってみたい。

吉田の述べゆくところでは、例の「盛岡高等農林学校に来ましたならば(……)」というメッセージのステイタスは明瞭だ。それは話し手から旅人に向けられている。すると語りに分裂はない・・。話し手が、自分の語ってきた旅人というキャラクターを歓迎する言葉なのだ。ああそうか・・・!といやでも驚く。深く、納得する。だけど、私の読み筋もまだ否定されずに「生きる」と思うし、さらには農林学校の同人誌で発表されたというときに読者たちにあの末尾のメッセージはべつに機能するというか、複層的に自分たちをも指し示して聞こえただろうことも「生きた」のではないかと思った。