とくに説明なく、アニメ感想を作中のスケッチ絵こみでアップするスタイルを始めてみた。Misskeyでも言ったがこれはコストがかかる。もっともそれは今のところ私の助けになっていると思う(気軽には量産しえないことも含めて)。ただ大なり小なりネタバレになってしまうので続きを読む記法にしようかなとか・・。
先日知ったがガールズバンドクライのサブタイトルはすべて花田十輝がつけているようだ。これは楽しかった筈だ絶対に。なにしろ自分のプレイリストを堂々と明かせるのだから。という訳で1話の遠藤賢司、2話のゆらゆら帝国はともかく、3話の「ズッコケ問答」(eastern youth)にイースタン・・!!!と椅子を蹴飛ばして立ち上がってしまった私。続くフィッシュマンズ、そしてサンボマスター(なるほどあの曲名・・)と、00年前後のライジングサンやロックインジャパンFESの匂いが強いのも判明して花田自身にその時期の音に思い入れがあるのかも知れないなどと思う。そこには最近話題になっていた「ふつうの軽音部」でも強調されていた銀杏BOYZもあっただろう。
そうなるとぼっち・ざ・ろっく!とまさに結束的に機能してしまったアジカンに対してもどういう距離がとられるのか愚者としては気になったりする(被せにいくのか、採らないでおくか、あるいはアジカンの前の「メガネ」存在としてのくるりを持っていくとか・・・)。
花田のロック趣味について記事をさがしている過程で、沼田友というアニメ制作の方が昔やっていたブログで、自主制作アニメが新海誠の感性と比較され続け戸惑っている日記をおもしろく?読んだ。
https://web.archive.org/web/20140417104253/http://memos.sblo.jp/article/92317757.html
見当違いの比較や、影響が無意識に表れて・・などとは水準を別にする、この「思ってもみない対象がいきなり自分の感性の鏡像のように外部から指名されることの戸惑い」は出来事としては非常な含蓄がある。あなたのやっていることは誰それの活動に近いものがあると思うという一文のバリアント、とくにこの言い方の「調節」、またその受け入れ方の感度。沼田さんの場合は新海作品をすでに観て、敬意も抱いており、ただそれが自分の表現と比較されることを想定しえなかったことから来る戸惑いなのではあるらしいけれど、自分がぜんぜん知らない作家と深く関連ありげに比較されるケースも少なくないだろう。それに当事者として立ち会わされる、ということを雑誌のインタビューなどで読むにつけ、いつも気にしていた。自分の知らない隣人として興味を持ちはじめることも、ポジションだけはどうやら確立されているらしい先行者として不愉快に遠ざけることも、そこからは同じくらいの可能性で開いている。クラウディオ・サンチェスなどはまったく聞いたこともないのにRushのゲディ・リーに声がそっくりだと言われ続け、戸惑いのはてに、20年後結局は"Anthem"(Rush)のカバーでゆうゆうと歌いきってしまった。