『理不尽な進化』を読みはじめた。次の引用に見られる、デイヴィッド・ラウプによる第三の絶滅シナリオの要約から私が直感的に理解した生き残り方の様相と、実際に本文で説明される道行きでは180度違うのが不思議な気がした。

さて、理不尽な絶滅シナリオを要約すれば、次のようになるだろうか。すなわち、「ある種の生物が生き残りやすいという意味ではランダムではなく選択的だが、通常の生息環境によりよく適応しているから生き残りやすいというわけではないような絶滅」と。

吉川浩満『理不尽な進化 増補新版――遺伝子と運のあいだ』第一章、強調は引用者

このような説明から、「菌類や小動物が生き残り恐竜が滅びた」という歴史的な出来事が導きだされていく。要諦は「偶然に」この地上での生存のルールが書き換えられてしまう理不尽さにある。しかしこの要約文を一読した段階では、むしろまったく逆に、菌類や小動物が(自分たちに有利な環境になった筈なのに)「なぜか」死滅し、新しいルールの下でいっぺんに不利になった筈の恐竜の側がなぜか存続するというvisionを受けとりたくなってしまう。理不尽というからにはそっちだろうと思ってしまう。「理不尽」というと、私はそういう(実存的な)風景をまず連想するせいもある。おそらく理不尽の意味がどこにかかっているかの違いなのだろう。ラウプの説明での理不尽さは出来事の一連の流れにかかっているので、そこを局所的に見ると、とたんに驚きのない普通の正論・説明にしか見えなくなる(新しいルールが前触れなく襲来するという予期できなさに理不尽さがあるとしても、その新しいルールの上でさえ適したものが有利だという様態自体は相変わらず変わらない訳だろうから・・)。

「通常の生息環境によりよく適応している」という要約文の「通常の生息環境」とは、恐竜の場合には隕石以前の生活圏を指していて気候変動後のそれではないようだから、文構成の段階でちょっと引っかかるものもある。あともちろん第一章読んだだけでほざいてるだけなので、このあとをちゃんと読み進めるとまたべつの風景がでてくる筈でもある。奇蹟論(奇蹟の欠如、かも知れないが)や正義論の観点から追うこともきっとできるだろう。