入沢康夫の『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』(1966~1990年まで発表されたさまざまな宮沢賢治に関する文章をおさめた大部──と呼んでよさそうな一冊)を半ばまで読む。森に近く行かねばという思いに苦しめられる。
朝五時ごろ家をでて暗い道を縫って大宮公園の裏から入っていく。大きく池をめぐりながらここに住んでいるという設定づけをしていたカルフォル・ミナーナというキャラクターの「しるえつと」を真っ黒い湖面にたどる。なぜ? 池ならどこでもいいと言えばそうだ。とにかく池に住んでいるキャラクターなら・・・私の術語ではキャラクターのことを「元素」と言っている。それはなにかになるのだろうか。私は歴史をほしかった。元素はいくつも揃うことで玉突きする予定だったし・・・。設定とは玉突き以外のなにだろうか。賢治は、「の」の字も「も」の字もそのなかで「おっかさんを失くしたり戦ったりしているのでしょう」と書簡に言っている。どの一文字もすでに生涯を超えている。元素と生涯。・・・互いに干渉しあわないようにと、パーソナルスペースの模造のように、妙に人間的な間をあけて公園内に植樹されたアカマツやシイやサクラの、ぬれおかきのようにしめった皮を見つめる。ジョギングの影はある。時刻とともに時計回りに歩いているひとの数がぽつぽつ増えてくる。やはり戻り方に殉じて、行き止まりをそのまま抜けることは避けた(あの先には経営難の競輪場・・・)。
神社の楼門が開いていて私が入っていく。先日の菊の奉納のあとは片づけられていた。あのときはどの花もかたちを誇張してみせるために首にシャンプーハットを白く着せられていたが・・・。
楼門をでて池を渡ってすぐ、正規の帰路の途上に二種類のライトが置いてある。正面にグリーンともイエローともつかない光をもたらしているのは、三の鳥居・二の鳥居そしてそのまま街中へ通じる大きな参道の側のライトだ(下の写真では右)。もう片方は小さな六社やおみくじが売られたり木に結んでゆかれる脇道の側のライトだ(下の写真では左)。このふたつのライトは色合いがはっきり違う。参道のほうはぼんやりと開けて明るい「午前の世界」であり、脇道のほうは紅が不自然に立ちこめる「夕方の世界」として、文字通り拝殿からの帰りの者の前に分岐をゆだねる。たとえば、あたかもひとつの信号機の青と赤が分裂してあのような高みに・・・いや、それよりどちらも信号機の黄色だと考えたらどうか。黄色から青へ移るものと、赤へ移るものとで、方向が逆だという訳だ。しかしそういうには赤のライトの存在が不動すぎた。そう、だから、一方は信号の黄色から青へ移ったばかりの気配をして、べつのほうはもう黄色に戻りそうもない赤・・・これも、うまくない。というところで比喩を切り上げる。とにかくこの二種類のライトの早朝時間に見えた分岐、世界観の表出のようなものは、それぞれのルートを進みはじめるやいなや、風に吹かれた粉のように崩れる。この「分岐ぶり」が十分見えるこの位置に、からだを占める必要があった。ふとこれがゲームブックだと判る。