この間散見したゲームブックネタ

発売されたばかりの無名者:屠竜の紹介文に「ゲームブック風ターン制RPG」とある。

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ダイス転がしや「あなた」宛てのムーディーな文体によって冒険に誘う要素を持つインディーゲームの類を紹介するのにゲームブックという惹句がときおり見受けられる。意図はよく判るつもりだ。ではありながら、そもそもデジタルゲームに対しては、それがいったいゲームブック風」なのか「TRPG風」なのか私がたはうまく判別をつけられなくなるのではなかっただろうか。とくにゲームブック側に話を絞った場合、デジタルゲームがパラグラフ/ジャンプという契機なり知覚を欠く、あるいはそれがべつの表現に否応なしに翻訳されてしまうせいが大きい筈だ。結局は、ページ態度(マンガ批評の用語を借りれば「紙面の論理」)とでも言うほかないものが。

やはり、だが、そうかぶりを振るには早すぎる。パラグラフもノンブルにも依らず、ページ態度がデジタルにふかぶかと読みこまれてしまう経験を私がたは見てきたと思う。たとえば「Ruina 廃都の物語」。手描きでスケッチされた都市や村の一枚絵の上にデジタルなポイントが無数に乗せられ、さあそのどこかをクリックすればまさに当の場所を訪問できたことになるというポイントアンドクリックの流儀は、作品を覆う濃厚な文体やムード以上にどうしてもゲームブック風だ。このマップ=触知の前につきあわされたプレイヤーの取り持つ時間そのものが、どうしてだろう、なんともゲームブック風なのだ。なぜかと訊かないでほしい。・・・よろしい、では私が代わりに訊いて私をいじめてやる。「なぜか」。

 

 

ツァラトゥストラの翼という例

 

ゲームブックゲームブック風/的文学

もともとあった含意、風化した含意、つけくわえられた含意、乙と甲で同じようなものと見なされたものの含意

 

佐川恭一『ゼッタイ! 芥川賞受賞宣言~新感覚文豪ゲームブック~』

文芸とゲームブック

ゲームブックらしく小説内で「君」のものとして指定される教養環境は次のようなものだ。エルフの『遺作』を見知っているような者としての「君」。

君の家の本棚にあったのは、父の好きな漫画ばかりだった。父が揃えていたのは『サラリーマン金太郎』『課長 島耕作』『ナニワ金融道』『右曲がりのダンディー』などで、他にビジネス書はたくさんあったものの、見つけた小説はたったの四冊。それは『美人女医・挑発診察室』(鳴海英介、フランス書院、一九九七)と『遺作』三部作(麻田卵人、原作エルフ、ケイエスエスノベルズ、一九九八)である。

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