柳田国男の「遠野物語」には鹿踊りの記述も入っているが、より私に重要なことに、二百十日の歌を拾うことができる。
雨風祭の折は一部落の中にて頭屋を択び定め、里人集りて酒を飲みて後、一同笛太鼓にてこれを道の辻まで送り行くなり。笛の中には桐の木にて作りたるホラなどあり。これを高く吹く。さてその折の歌は「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という。*1
立春から数えて二百十日として九月一日付近を見ることは、昔から広く民衆知としてあった筈だから特定のなにかを取りだせる訳ではないが、「風の又三郎」/「風野又三郎」での二百十日が一種の合言葉として響いたことを思わずにはいられない。自分は風としてやってきて、また、やっていくのだ、ということで、「風野又三郎」では又三郎本人の口から二百十日の説明が幾度かある。ところが「風の又三郎」では、子供のひとりが「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」と言うのにあわせて「二百十日で来たのだな。」と半ば自分を納得させるようなトーンで声にだす、冒頭での一度だけしか登場しない。それにしても、この「二百十日で来たのだな。」というのは非常に微妙な言い方だ。あたかも作品として転生前の「風野又三郎」稿の記述=記憶を子供のひとりが持ち越すことで言うことに成功したようでもある。「風の又三郎」だけで読む読者にはなおさらあやしい。二百十日で来たのだな? 君はなにを知っているのですか、と言いたくなるむずがゆさに襲われる。